ますますブラック化

今、文部科学省は「教育現場の働き方改革」を掲げ、教員の労働環境の改善を目指している、と打ち出しています。

これは、教員の労働時間が長時間になっていて、精神疾患等で休職する教員の増加や、様々な新しい教育課題に取り組めない状況になっているため、それを改善するべく取り組みますよ、という政策です。

 

すでにこのスローガンを掲げてかなりの時間が経過しているにも関わらず、学校は多忙化する一方です。

「ブラック企業」の代表のような現実が明確になるにつれ、教員の希望者もどんどん減少し、2022年度は全国で4月に担任がいない、という異常事態が複数の学校で起きるはめになってしまいました。

 

つい最近だけでも、「特別な才能のある児童生徒は、一斉指導だけでなく、取り出しでその子にあった個別指導をする」とか、「タブレット使用の効率を上げるために、研修を増やす」などの文部科学省の方針が打ち出されて、現場の仕事は増えていく一方です。

担任すらいないのに、どうやってこんな仕事をこなせばいいのでしょうか。

 

こういった実態の学校現場に、さらに本来教育活動とは言い難い、医療行為であるフッ素洗口が入り込んでいるのです。

しかも、たくさんの教員の反対を押し切って強制されるわけですから、その負担感はますます大きくなります。

 

教員が欲しいのは、本来の教育活動にしっかり取り組むことのできる時間です。

フッ素洗口に費やす時間を、子どもたちと一緒に休み時間をすごしたり、個別の相談をしたり、実験や実習の準備に費やすことができたらどんなにいいでしょう。薬事法違反とか、人権侵害などと認定されるフッ素洗口ではなく、本来するべき活動に時間を費やすべきです。

 

養護教員は、担任教員とは違った意味でさらに深刻です。

養護教員は、子どもたちが自分のからだと命の主体になって生きる力を育むための教育をすることがその役割です。

その養護教員が、もしかすると子どものからだと命を傷つけるかもしれないフッ素洗口を、中心になって実施しなければならないのです。

 

養護教員が本来するべき活動とフッ素洗口は、真逆の行為なのです。

フッ素洗口が導入されることを知って「もう養護教員を辞めたい」とこぼした人もいました。

 

何でもかんでも学校に持ち込めばいい、というものではないのです。

学校には学校の役割があり、担任教員や養護教員にもそれぞれ学校で果たすべき役割があるのです。

学校や教員の労力も時間も無限ではないのです。

 

フッ素洗口は、明確に、学校の役割ではありません。